今日、子供達の写真を撮っていた時にふと思った事がある
日本では写真を撮る時、まだピィースサインをしているのだろうか?
私はカメラを向けられたらとりあえずピィースで育ってきた
ハイ 写真撮るでぇ〜 ピースピース ハイチーズ
ピィーーーース
思いっきりピィース 両手でピィース 恥ずかしがってもさりげなくピィース
ピィースは自然に出てくるものだった
それがカナダに来て
「なんでいつもピィースばっかりするのか」
と聞かれ、よくよく考えたらピィースの意味がよく分からなくなり同時に少し恥ずかしくもなり私の長年のピィース歴は幕を閉じた
長年ピィースをし続けているといざピィースをしなくなると手のやり場に困りまたポーズすらぎこちなくなってしまった
ピィースをやめた当時の写真はパントマイムのような自分が写っていたのである
それでも今では写真を写す時ピィースを全くしなくなってしまった
オリジナルティにあふれていたピィースは完全に過去のものとなったのだ
久しぶりにピィースがしたくなった
息子に頼み封印していたピィースを復活させてみたのだ
結果。。。。。。。
ピィースポーズができんがな
あれだけピィースピィースしていたのにピィースでポーズを決めると指がつりそうになるという不思議な現象が起こった
手全体に広がる超不快感
笑顔でピィースどころの話ではなかったのである
「マミィ何しとるん? ロック、シザー、ペーパー?(ジャイケン) 」
ピィースサインを知らない息子は私がジャイケンを始めようとしているのと勘違いした
本来の意味のピィースサインがVictory(勝利)や平和、喜び、楽しみの意味があると4歳に教えたところでなんのこっちゃ分からん話である
それでも息子はカッコイイと判断
しばらくの間ピィースピィースとはしゃいでいた
次の日、息子はカッコイイと思ったピィースをするかと思いしや、1日限定だった
結局のところピィースは習慣みたいなものだったんだろう
そんな風にピィースを考える平和な一日が始まろうとしている